クルフ | |
紋章 | クルフの位置 |
国名 | ポーランド |
県 | ルブリン県 |
グミナ(地方自治体基礎組織) | クルフ |
成立 | 14世紀 |
首長 | Maria Wiejak |
面積 | 11,33 km² |
人口 | 2,822 (31.12.2014) |
人口密度 | 249/km² |
等時帯/夏時間 | UTC+1/UTC+2 |
市内局番 | (+48) 81 |
座標 | 22°11′E 51°23′N |
クルフ(▶ Kurów)は、ポーランド南東部のルブリン県プワーヴィ郡に属する村。面積11.33 km²、人口2822人 (2014年現在)。
歴史[]
1431年から1442年の間に、村はMagdeburg Lawに基づく市の資格を認められた。 「private town」として、周辺地域における食料交易の中心であった。毛皮や皮工場もいくつかあった。 16世紀、クルフにはプロテスタントの一派であるPolish Brethrenの人々が多く住んだため、 カルバン主義の中心地のひとつだった。 1660年までに、住民のほとんどが アリウス派に転向した。
1660年以降、この町はこの地方の歴史を運命をともにしている。1795年、 第三次 ポーランド分割以降、クルフはオーストリーに併合された。1809年には、ワルシャワ公国の一部になる。1815年、ポーランド立憲王国の一部となる。
11月蜂起のさなかの1831年2月に「クルフの戦い」が起こり、ポーランド人はJo'zef Dwernicki将軍の指揮のもとにロシア軍をうち破った。1870年、1月蜂起の際にクルフはとうとう都市憲章(city charter)を失い、以後二度と回復していない。1918年、クルフはふたたびポーランドの領土となる。
1939年9月9日、ポーランドにとっては第二次世界大戦開始と同義であるドイツのポーランド侵攻時、クルフはドイツ空軍の猛烈な空襲を受けた。赤十字でマークされた民間病院も攻撃目標となり、多くの民間人が犠牲になった。第二次世界大戦中、ドイツはクルフに二つの強制収容所を設けた。1942年、小規模なゲットーが作られた。しかし、クルフに収容されたほとんどのポーランド人は脱出して、近隣の森から展開していたポーランド国内軍に入った。
旧跡など[]
- 教会 (1452建設, 1692年改装) Zbaski家の墓所とSanti Gucci (1587)による彫像がある。
- 鐘楼 (18世紀建設)
- 門 1911年建設)
- 教区司祭館 (1778年-1782年建設)
- 司教の家と教区学校
- 共同墓地
- テルメ (19世紀建設の公衆浴場)
出身者[]
- ヴォイチェフ・ヤルゼルスキ – 将軍、元ポーランド大統領 (1923年、クルフに生まれる)